病院(医者)選び





母が転院した。
とっくに入院はしていたのだが、転院した。

病名は漠然と囲ってしまえば癌だ。
完治はしない、できない。良くて寛解まで。

入院する病院を決めるとき、家族は、多少遠くても、なるべく評判の良い病院に入院するよう薦めた。
母は、近くの病院が良いといった。家族が来易いよう。
良い評判はあまり聞かない。が、私たち家族は最悪のことも視野に入れ、母の意見を最優先させた。
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治療は途中までうまくいっていたはずだった。
時々外泊もできていた。

治療は抗がん剤の副作用との闘い。免疫力が落ちる。
その副作用、病状は様々、担当医一人だけではすべてを正確に診断できないだろうと素人な私は感じる。

経験は豊かそうだし、同様の症例も数多く見てきたことだろうし、研究・勉強もしているだろう。
だが、専門化が進むこの世の中、一人でできることなど知れている。

ワザとなのか、プライドが高いのか、知識不足なのか、あるいはその全てなのか。
発症する病状に対し、お願いしても専門医に診させてくれない。検査さえもしてくれない。
この高度情報化の時代、症例をキーワードに検索をするが、医者の説明と食い違う。
益々不安になる。大丈夫なのか?

医者の「たぶん」という言葉が耳につく。
患者側が望むのは「たぶん」ではない。
いや、「たぶん」でも仕方がないものもあるのだろうが、その場合、こちらが望むものは
より確度の高い「たぶん」である。
検査もしない「たぶん」は経験からなのだろうか?

免疫力が落ちている今、所見違いは致命傷だと思う。素人考えだろうか?
「たぶん」が信用できない。


夜、突如容態が変わる。家族も覚悟をした。
何とか持ち直してくれた。

だが、この日医者は来なかった。

帰ってしまった後なので、やむをえないのか?
次の日の朝もも来なかった。持ち直したから良いのか?
午後になってやっと来た。
「やっと」・・・「やっと」来た。今まで何をやってたのか?

今までの対応に疑問を感じつつもこの医者に何とか頼るしかなかった。
だが、もうこの医者に対しての信頼は微塵も無い。

転院を考える。
この状況で転院は命取りだというのは誰もが分かっている。
しかし、この何もしない、してくれない医者の下に置いておく訳にはいかない。



結果無事転院できた。
まだ予断はできないが、今のところ無事である。

「たぶん」はやっぱり「たぶん」でしかなかったことも分かった。
検査をしてくれてさえいれば「すぐ」に分かる病気だった。

「癌の治療」はそれなりに上手くいっていたようだ。
それを考えると、最初の医者は「癌だけ」を見ていたようだ。
「副作用の治療」は興味が無かったようだ。

何のための「医者」であり「医療」なのだろうか?
どこを向いて「医者」やっているのだろうか?

母は、今の病院に来て良かったと涙を流した。

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